22日から23日の夕方にかけては、素木で新造された約100貫(375kg)ともいわれる神輿を、枠持(わくもち)と呼ばれる男たちが「ソウスケ!コウスケ!」の掛け声や「祝い唄」を唄いながら、かついで町内を練り歩きます。
クライマックスは、23日の夕方から神輿を縦に横にと、何度もまくる「みこしまくり」。神輿を転がすことを「まくる」というのです。
日本でも類を見ない豪快な祭りです。
昔、木曽から飛騨へ、杣(そま)・匠(たくみ)仕事へ行っていた信仰心厚い惣助(そうすけ)・幸助(こうすけ)の兄弟は、その地で戦乱が起こったので、御神体を守ろうとして神様をのせた神輿を、二人で一路木曽へと運び出しました。
しかしその道は大変険しい山道。信濃の国境の峠(長峰峠)で、とうとう追手に迫られ、神輿の争奪戦が始まりました。兄弟は互いの名を呼びあい励ましあいながら、必死に神輿を守ろうとしているうちに、神輿は地面に落ちてしまいました。幸い峠の下り坂だったため、二人は神輿を転がしながら追手を逃れ、木曽福島宿までたどり着いたと、言い伝えられています。
また、惣助・幸助が奉じてきた神様が、追手がせまったとき「惣助・幸助」に「神輿を転がしてゆきなさい」と言われたため、神輿をまくって逃げたという話も伝わっています。
水無神社に祭られている神様は、飛騨一ノ宮からお迎えした神様だったのです。
氏子たちは惣助・幸助の苦労と偉業をしのび、この故事にならって祭りを始め、飛騨街道の見える鴨居坂(かもいざか)で、神輿をまくるようになったといわれています。
資料提供:水交会
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